帝都から5000sz離れた深い谷底。木も草も生えない、文明から切り離された場所で俺は生きている。娘に会うために。何も好きでこんな所にいる訳じゃない。俺は仕事をしている。黒い管を運ぶことだ。大きくて重い、直径5zはある太い管。飯場と作業場を往復する日々の中、必死になって働いている。この管が何に役立つのかはわからない。考える理由も余裕もない。作業は集団行動。20人が歯を食いしばって一本の管を運ぶのだ。汗が塩に変わり、鞭を打たれようとも、必死に黒い管を運んでいる。思えば、仕事を始めて3年が過ぎた。大不況が続く今、仕事に就けるだけありがたいと思ったが、ここまで過酷だとは想像していなかった。カネ目当てで飛びついた労働者は床に着くと毎夜、家族や恋人のことを想い涙をすすっている。俺だってその一人だ。9歳のときに別れた娘は12歳。どれだけ大きくなっているのだろう。僅かに見える灰色の空から想いを馳せる。あと40日でこの作業は終わる。娘の元へ戻れる。別れる前と同じように娘と遊べるだろうか。一昨日、飯場で聞いた噂が頭から離れない。ポン引きが話していた内容だ。彼は各地の飯場を往来し、情報に飢えた俺達に色々な事象を伝えてくれる。帝都の情報にも精通している。彼は我々が運ぶ巨大な黒い管の正体について帝都で聞いた事実を語った。地球の支配者、ダークマターはワンベルト構想を急いでいた。地球古代文明の研究が進み、かつて(まだ「西暦」が使われていた時代の)ヒトが駆使していたとされる情報通信網の詳細が判明した。これを利用し、産業革命の新たな段階へと繋げることが本構想の概要であるという。我々が運ぶ黒い管とは情報をやり取りするための"つなぎ"の部分であり、ワンベルトとは、この管を指していた。計画の目的は無論、人民を監視するため。近年、太洋島嶼地区周辺で多発している大規模な反政府活動の鎮圧を念頭に置いているらしい。ただ、為政者は言葉を巧みに計画を進行させている。まさしく、今回の目的は「治安維持」と「生活水準の向上」である。人民一般はこの事実を知らない。喧伝のとおり、来たる新世紀3030年には日々の生活が快適になると信じている。中には狂信的にこの政策を支持する一般人民もいるくらいだ。彼らの謳うワンベルト構想は実に魅力的だ。・無産人民は単純労働から解放される。・科学技術の分野は人工知能の解析によって指数関数的な成長を遂げる。・情報通信網は文明の隅々にまで行き渡る。それは即ち密林から深海に及ぶこの惑星地表の全て。人民は天災にも事前に対策を執ることができる。・合理的な政治決定、適切な生態系保全、工場やインフラの完全自動化は事故や感染症のリスクを格段と下げ、人民大衆の生命維持時間を拡大させる。聞こえは十分だが、こんなのは絵空事だ。人民は利用されている。何より娘のことが心配になった。娘は太洋島嶼地区にいる。あの地のダークマター戦闘員の風紀は最悪だ。反政府組織、それを鎮圧するダークマターとの抗争に娘が巻き込まれなければいいが。「深く考えることないさ、アンタ達がここを出るのはまだ先なんだから」そう言ってポン引きは次の飯場へ向かって行った。尻のポケットからは札束が溢れていた。